昔ながらのポーズだし、ことさら違和感を覚えたことはないんだけど、そのときのポーズは 「ナチス式」 だから、ポーズを変えませんか?という提案があったらしいよ。
その提案がこちら。
そろそろやめませんか?
2017/6/20 22:06
〜前略〜
初めて日本式の学校の運動会に参加して
(正確にはフランクフルトの日本人学校補習校で運動会は経験済み)
初めて選手宣誓のポーズを見て内心ぶっ飛びました
だってこのポーズ…ナチス式敬礼のポーズなんです…
〜中略〜
ましては2020東京オリンピックの開会式で
このポーズをやってしまって全世界に中継されたら…
せっかくの素晴らしいセレモニーも
海外で違うビックニュースになってしまいかねません。
意図せずに行われている慣例なので
変えていくのは簡単じゃないかもしれませんが
是非次の運動会からは、選手宣誓のときは
手を上げずに直立不動のポーズや
腕を後ろで組んだポーズなど
違う形で宣誓を行いませんか?
〇引用元URL (サッシャ LINE BLOG)
https://lineblog.me/sascha/archives/8342298.html
※下記ブログにて、誤認を改め誤解を広めたことを謝罪していることを付記する。
〇引用元URL (サッシャ公式 LINE BLOG)
選手宣誓について 2017/6/21 19:08
https://lineblog.me/sascha/archives/8342395.html
まぁ、言いたいことは分かるよ。
国際大会など、複数の国家が参加する大会においては、そういった配慮も必要になるケースもあるかと思う。
実際、近年の国際大会では、右手を頭上に掲げる「ナチス式敬礼 (便宜上の記載) 」 を観る機会は減ったと感じてる。その変わり、肩の高さで右手を小さくかざすポーズなんかを目にする機会が、だいぶ増えたよね。
それでも、「ナチス式敬礼」 で宣誓する選手はいるし、国際大会の選手宣誓ポーズを変える必要があるのかは、正直、わからない。
まぁその辺は、大会ごとに規定やレギュレーションがあるだろうから、それに従えばいいだろう。
それはそれとして、日本のイチ地域のローカルイベントまでも、「ナチスを彷彿させるからそのポーズは止めよう」 と言うのは、やりすぎだと感じる。
【「ナチス式敬礼」はナチス由来なの?】
そもそも、サッシャの言う 「ナチス式敬礼」 は、ナチス由来ではなく、ローマ帝国の軍隊が由来のもの。それをヒトラーが取り入れたことで、「ファシズムのシンボル」 と誤解されるようになった。
ナチス式敬礼は、元がローマ式敬礼だけあって、共通点が多い。でも、掲げる右手の角度は水平で、相手と正対するという特徴がある。
だから、良識をもっている人にとっては、ローマ式/ナチス式の違いは明白だし、今日でも、選手宣誓においてローマ式敬礼をとる選手がいるんだと思うよ。
※ローマ式は、指席と視線の先が一致しているのに対して、ナチス式は、視線と指先が水平だということがわかる。掌は相手にみえない。
【五輪のレギュレーションでは?】
ブログでは、来る東京五輪においての懸念が書かれている。
では、五輪においては?というと、日本オリンピック委員会 (以下、JOC) にこのように記載が確認できたよ。
オリンピック憲章 1996年度版 Olympic Charter
69.開会式および閉会式*
1.12- すべての選手団の旗手が、演壇のまわりに集まって半円形をつくる。開催国の競技者ひとりが演壇に上がる。彼は、左手でオリンピック旗の端をもち、右手を挙げて、つぎのように厳粛に宣誓する
〇引用元URL (JOC)
http://www.joc.or.jp/olympism/charter/chapter5/69.html
最新盤の 2016 年度版からは、ここまで細かい指定は確認できなかったけど、 1936年に開催されたベルリン五輪後も、右手を掲げた宣誓は、五輪憲章に定められた正式なレギュレーションだったということが、確認できる。
右手を掲げた選手宣誓は、1920年のアントワープ五輪から確認できるし、ローマ式敬礼は伝統ある選手宣誓のポーズといって差し支えないだろう。
※画像は BBC Olympic ページより引用
http://news.bbc.co.uk/sport2/hi/olympics/7502149.stm
憲章で指定しなくなった理由までは、残念なことに調べがつかなかったけど、手を掲げる角度やポーズこそ多種多様になったものの、宣誓のポーズ自体は、そう大きく変わってないよね。
そもそも、五輪は IOC が主催する国際大会だから、大会規定の変更について、日本は権限を有しない。
ローマ式敬礼を止めるよう訴えるなら、その先は IOC であって、私たちではないハズだ。
※JOC サイトの五輪憲章は、IOC (国際オリンピック委員会) のものの和訳であり、JOC 独自の記載でないことを付記する。
【なぜ、サッシャの提案に反対なのか?】
サッシャが提案する 「運動会でナチス式敬礼は止めよう」 に反対する理由は、伝統破壊につながるから。
なにをどう調べたのかわからないけど、ローマ式敬礼をナチス式敬礼と言ったり、「ナチス式敬礼はベルリン五輪から日本に伝来した」など、歴史を都合よく曲解し、個人的な自虐史観 (サッシャはドイツ人と日本人のハーフ) から、ローマ式敬礼を排除するかのような発言は、伝統を破壊しようとしているようにしか見えない。
2016年3月、日本では、国土地理院により、外国人向け地図の地図記号の追加/変更が発表された。
変更の候補には、 卍 (寺院)を三重塔モチーフの図案変えようかというものがあったけど、「卍記号の由来等を説明し、外国人に理解してもらうべき」などの意見が寄せられ、寺院の地図記号変更は見送りとなった経緯がある。
卍 も 卐 (右卍、鍵十字、ハーケンクロイツ)も、ヒンドゥー教/仏教用語の Svastika (スワスティカ) が由来の印で、慶事の象徴。そのモチーフは、太陽から放たれる光であって、ナチスとはなんの関係もないんだよね。
つまり、右卍を 45度に倒したものがナチスの党章であり、それと、卍 は別のもの。知っている人からすれば常識でも、知らない人にはわからないことだ。
だから、前述のような意見が寄せられ、それをもっともだと判断した国土地理院も、地図記号の変更を見送ったのだろう。
なにも、安易に変えることだけが配慮ではないというものだ。
サッシャの提案は、「臭い物には蓋をする」 的な発想で、都合の悪いものから目を背ける行為に他ならない。それでは、健全な議論はできないし、正しい知識を啓蒙することもできない。
良識のある大人なら、由来、歴史的な背景や現状などを確認したうえで結論に導くべき。
今回のサッシャの提案からは、それらが欠けており、を賛成することはできない。
ブログ投稿後、間違いを指摘され、それを認め謝罪したものの、サッシャの「ローマ式敬礼は変えたほうがいい」という方針は変わってないみたい。
彼にとっては、幼少期の出来事とは、それほどインパクトのあったものだと想像することができるね。
しかし、変えようという理由が、「近年ではローマ式敬礼を観なくなってきているし〜」では、長く続いた伝統を止めさせるには弱すぎるというものだ。それに、あくまで個人の好悪の感情を、一般世論にすり替えているようにも見える。
このように、この提案には、そうすることの必然性が欠けており、賛同することができない。
個人の感情で述べたいなら、いくらでも垂れ流せばいいと思うけど、それを提案といってしまうのはどうかと思う。
ネットで検索してみても、ローマ式敬礼/ナチス式敬礼、卍/ハーケンクロイツはごちゃまぜになって表示されるし、かつては明確であった違いが、近年ではあやふやになってきていることがわかる。
このような地合いで、安易な理由からこれまで続けてきたものを変えてしまうのは、伝統破壊とも呼べるものではないか?
だからこそ、簡単に変えるのではなく、ちゃんとした違いを理解し、議論を深める必要があると思うんだよね。
【まとめ】
国際大会などで、ローマ式敬礼をするかしないか?それ自体は、わりとどうでもいいことだと思う。それは、大会規定に基づくものだから。
その中で、ローマ式敬礼を行うのか、それを崩したポーズで行うかは、宣誓する個人の内心の自由に依る部分だと思う。もちろん、ナチス式敬礼などを行えば、国際的に大バッシングを受けることになるのは、想像に難くないが。
サッシャのブログは、「国際的にもナチスを想起させるようなローマ式敬礼は避ける傾向にあるみたいだから、日本もそうしよう」 という内容。サッシャ自身は、右手を掲げることに抵抗があるようで、直立不動や手を後ろに組んだ姿勢での宣誓を提案していた。
自分の望む世界の実現を目指し、民間での地道な啓蒙活動もいいけど、間違い指摘を受けた後も、ナチス式敬礼イヤイヤ感が全面に出ており、議論よりも自分の嗜好が全面にでているような印象を受ける。
本当に国際的な潮流があるなら、放っておけばローマ式敬礼はなくなるだろうに、わざわざブログにして何がしたかったんだろう?訴える先を間違えているようにしか思えない。
参加する側からすれば、レギュレーションの範囲で、常識的な対応をしていく。それでいいと思う。
それなのに、ずっとローマ式敬礼で選手宣誓をしていたローカル大会にも、ろくな議論もなく、似てるからやめましょう的な理由で呼びかけるのは、話が違うんじゃない?
もし、ローマ式宣誓をみて、「うわこいつらナチだ!」と騒ぐような輩がいたとしたら、そうではないことを説明し、相互理解を深めることが大事だと思う。
それで理解が得られなかったら、そこからポーズをアレンジするなどの歩み寄りを考えればいんじゃないの?
全く同じものならともかく、この場合違うんだからさ。
変わる理由があるように、変わらない理由もある。
それをないがしろに、安易な理由で変えようという提案には、賛同できない。
-蛇足-
Summer Sonic や Loud Park の進行などで馴染みのあるサッシャ。その MC は、出演バンドの歴史や日本国内のファン、音楽シーンへの理解も深く、小粋な MC で会場を盛り上げてきてくれた。
それだけに、今回のような雑なブログが書かれてしまったのは、非常に残念だ。