映画「機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ キルケーの魔女」を観てきたんだ。
そしたら、エンディングが Guns N' Roses (GN'R) のこの曲だった。
だから、ちょっと意訳してみようと思ったんだ。
ネタバレを含みます。
ネタバレは、意訳のあとの説明部分なので、意訳までなら読めるハズ。
タイトル:Sweet Child O' Mine
作 詞:Steven Adler, Slash, Duff McKagan, Axl Rose, Izzy Stradlin
作 曲:Steven Adler, Slash, Duff McKagan, Axl Rose, Izzy Stradlin
収録作品:Appetite for Destruction
She's got a smile that it seems to me
Reminds me of childhood memories
Where everything was as fresh as the bright blue sky
Now and then, when I see her face
She takes me away to that special place
And if I stared too long, I'd probably break down and cry
Woah, oh, oh
Sweet child of mine
Woah, oh, oh, oh
Sweet love of mine
She's got eyes of the bluest skies
As if they thought of rain
I'd hate to look into those eyes and see an ounce of pain
Her hair reminds me of a warm, safe place
Where, as a child, I'd hide
And pray for the thunder and the rain to quietly pass me by
Woah, oh, oh
Sweet child of mine
Woah-woah, oh, oh, oh
Sweet love of mine
Ooh
Oh
Oh, oh-oh, yeah
Woah, oh, oh, oh
Sweet child of mine
Oh, woah-oh, woah-oh
Sweet love of mine
Woah, oh, oh, oh
Sweet child of mine, ooh, yeah
Ooh
Sweet love of mine
Where do we go?
Where do we go now?
Where do we go?
Mm-mm, oh, where do we go? (Where do we go now?)
Oh, where do we go now? (Where do we go?)
Where do we go? (Sweet child of mine)
Mm, oh, where do we go now?
Aye, aye, aye, aye, aye, aye, aye, aye (Where do we go? Where do we go?)
Ooh, where do we go now? (Where do we go?)
Oh-oh-oh-oh-oh, oh, woah
Where do we go?
Oh-oh, where do we go now?
Where do we go?
Where do we go now?
Where do we go?
Woah-oh, where do we go now?
No, no, no, no, no, no, no
Sweet child
Sweet child of mine

Sweet Child O' Mine 意訳
ギギの無邪気な微笑みを見ていると、
僕はある昔の思い出が蘇ってくるんだ。
鮮烈な出会い、初めての恋。なにもかもが新鮮だったあの頃を。
ギギの美しい顔を見つめていると、時折り、無性に泣き出したくなってしまうんだ。
今は感じられないあの (NT) 共感を思い出し、同時に、もう得られない感覚だってわかってしまって。
だから、長くは見つめてられなかったんだよ。
失ったものの大きさに耐えられないんだ。
俺の大切な思い出
そして、俺の大切な恋人...
クェスの瞳は、澄み切った美しい宇宙 (そら) の色だった。
でも、なぜか雨を予期させるような曇りが見えるんだ。
僕は、その瞳に少しの曇りも見たくないのから、躍起になっていたっけ。
クェスの自由奔放な振る舞いは、
僕の生活環境にはない物で、とても眩しく映ったんだ。
でも、それは高い感受性の裏返しにある強がりだってわかってしまった。
僕は子供で無力だったけど、せめて彼女を守れるようになりたかった...そう、居場所になってやりたかったんだ。
僕の大切な思い出
僕の最愛のひとよ...
俺の大切な思い出
俺のいとしい人よ...
ギギ、僕たちはどこに行くんだろうね
これからどうすればいいんだろうね
僕たちはどこへ向かっているんだろうね
どうなっってしまうんだろうね
僕たちはどこへ向かおうとしてんだろうね
どうなってまうんだろう
嫌だ!
違うんだ!
止めてくれ!
そうじゃないなら!
ここで終わるわけにはいかないんだ!
俺を導いてくれ...
改めまして。
映画「機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ キルケーの魔女」を観て、感じた意訳をやってみました。
同作の世界観を強引に当てはめているので、原詩とは全く違った訳になっています。
原詩の意訳もやっているので、ご興味があればそちらもご覧ください。
繰り返しますが、この先はなぜそういう意訳になったかの説明があります。
ネタバレを含みますので、ご注意ください。
キルケーの魔女、ご覧になりました?
今作は、人物のディテールもだいぶ深堀りされたこともあり、人物の行動原理がわかりやすくなったので、ヒューマンドラマとしても、とても楽しめました。
また、MS 戦闘も前作より増えており、特に、コクピット視点多めのド迫力バトルには、手に汗を握り、固唾を飲むのも忘れるほど堪能しました。
本作、とても面白かったです!
以下、ネタバレ!
エンディングに入る時、Ξ ガンダム が見守る中、ハサウェイとギギがキスし、ようやく主人公とヒロインが揃い、ハッピー・エンドに向かうようなシーンで、この曲の清々しい、青空を突き抜けるようなギターが入り、ポジティブな印象を受けた方も多かったと思います。
しかし、”Sweet Child O' Mine” は別れ歌なんです。
好き合って一緒になったけど、道を別つ選択をし、それまでの思い出を語る歌なんです。
だから、キスと共にこの曲が流れたとき、「このふたりは別れてしまうんだな」って感じてしまいました。そして、ハサウェイのやっていることがテロであることから、ハサウェイにハッピー・エンドは訪れないということも。
このスタッフロールには、楽曲の和訳も流れていましたね。
つまり、この曲は、別れ歌とわかっての選曲なんです...
幸せそうなキス・シーンと、予期される不幸な未来にとのギャップに、思わず、涙があふれてしまいました。
字幕が流れていたので、わざわざ和訳する必要はないだろうとも思いました。しかし、この曲は、どういうシーンを想定して選ばれたのだろう?と考えたら、妄想が止まらなくなり、キルケーの魔女版の意訳に挑戦したという流れです。
まず、この意訳の主人公はハサウェイです。
ハサウェイが、ギギと別れた後、ハサウェイが死ぬとき見た走馬灯をイメージして意訳しています。
ギギの奔放さ、危うさに触れ、初恋の人 クェス・パラヤとの記憶がオーバーラップしてきた感じではじまります。
劇中、ハサウェイは、ギギにクェスを幻視していました。ギギもクェスも (一見) 自由奔放でしたが、それはちゃんと背景があり、強がりのような側面がありました。そして、守れなかったからこそ、今度は絶対守りたいと思ってしまいます。しかし、ハサウェイにはマフティー・ナビーユ・エリンという立場があり、それが許されません。
笑顔が気になり、見つめている相手がクェスではなく、ギギであることに気が付いて、絶望する感じ。とてもメンヘラな感じがでている意訳だと思います。
原詩では、懐かしむ感じ。こちらでは、忘れたいけど忘れられない感じで、いわば「呪い」って感じで意訳しました。なので、一層メンヘラ感を強めていると思います。
ギギは空色 (Blue Sky) って感じの瞳でしたが、クェスはそれよりも深い色合いだったので、宇宙 (そら) 色としました。また、色彩のグラデーションを落とすことで、終盤のギャップを意識付けたかったのもあります。
色としては全然似ていませんが、劇中ではギギにクェスを幻視しているので、問題ないだろうという判断です。そこに、クェスに出会い、恋に落ちたイメージを重ねることで、未だにギギ、クェスどちらを見ているのかわからないような印象を持たせました。
改めて読んでみると、厄介オタクみたいなムーブになってしまったかな?
結果、ギギという女が出来たのに、クェスのことがいつまでも忘れられず、過去に捕らわれ、一緒に前を向こうとしないハサウェイに三行半をつきつけ、ギギは出て行ってしまいます。
結局、最後は、ケネス大佐に追い詰められ、今わの際で走った走馬灯がこの意訳となります。
「どこで間違えたんだろう?」「どうすれば間違えなかったんだろう?」そんな想いをイメージし、意訳を〆ました。
最期、「僕」という一人称を使っていたのを「俺」に変えました。
ここでハサウェイの時間が動き出したというイメージです。
「僕」は、逆襲のシャアの時間から止まっていた時間を表したくてそうしていました。
ぼくの中では、ハサウェイは結局、クェスを忘れられず、ギギは、ハサウェイを止めるために袂を分かつというイメージです。
この意訳、どうでしたか?
ぼくは、スタッフロールの間にこんなイメージが出来上がってしまい、早くも、第 3部を観る気が重くなってしまいました。
ここからハッピー・エンドになれる世界線があったら見てみたいとも思いますが、ハサウェイがやっていることは立派なテロなので、どうやっても幸せな未来があるとは思えません。
いっそ、スタッフロールのまま、ガンダムで逃避行するくらいしないと、どうにもならないのではないでしょうか。
もしくは、誰かが「クェスはもういないんだよ!」と言ってやれば、あるいは、別の展開もあったのでしょうか?
みなさんは、キルケーの魔女のエンディングに、どのような未来を視ましたか?